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メアリーのブログ「スキップして!」

鹿児島県薩摩川内市、自家焙煎珈琲店「珈琲倶楽部船倉」のオーナー、メアリーのブログです。

10月のサントス

ブラジル特有の「テラローシャ」と呼ばれる肥沃な赤土に植樹された濃緑の葉が生い茂った珈琲の樹がパノラマ状に広がる珈琲農園。たわわに実る赤い珈琲の実。それを高台から一望したとき、さわやかな風がすーと吹き抜け「よく来れましたね」という声が聞こえたような気がしました。
念願の珈琲農園訪問はサンパウロで日系人が経営している農園。そこでは約100年前に使用していた精製場での機材、乾燥場などを見学しました。従事者の住まいでは珈琲器具とカマドを見て、当時の過酷な生活の中でも珈琲で癒されたひと時を垣間見ることができました。
1908年に第一回日本契約農民移民781名が、神戸港から57日かけてサントス港での一歩を踏み出しました。その移住希望者の中に鹿児島県出身者が172名もいたと聞きます。夢と希望を抱いて移住したものの、その後、血の涙を流したと言われるほど苦労を重ねたと聞きます。9年前のブラジル行きは珈琲に関わった先祖の苦楽を知るための旅でした。
友人から「ブラジルに薩摩川内出身の親友が二人いるので一緒にいきませんか?」と誘われて実現した珈琲農園とサントス訪問。
サントスの珈琲博物館では珈琲産業が一世を風靡した頃の写真と、100年以上前に使用された珈琲器具、珈琲で作られた石鹸などを見ることができました。日本人家族約40名が裸足で農園に立ち、馬に乗る指揮者と収まっている畳サイズの集合写真の前では、労働の大変さを感じ、思わず立ちすくみました。
日系移民は、勤勉な人という意味の「ガランチーノ」と呼ばれ、絶大なる信頼を得、現在も多方面で数多くの成功者がいます。
当店が仕入れている珈琲豆「サントス」は日系人トミオフクダ氏が経営するバウ農園で栽培されています。行き届いた農園管理と、良質の土壌で最高級のサントスを作り出しています。
現在のブラジルの日系人は約140万人、その数は世界でも最多であり、まるで親戚のような国。50年以上ブラジルに住んでいる、友人の親友の晴子さんが「ブラジルは気候もいいし若者は高齢者をいたわる、とてもいい国。ブラジルの良さを多くの人々に伝えてほしい」と何度も繰り返しています。
私が訪問した9年前の10月には「ブラジル鹿児島交流100周年記念式典」がサンパウロで開かれた、と聞き、鹿児島県人の私はブラジルとの繋がりを強く感じ、興奮した記憶があります。
日系の先達が、研究と苦労を重ねて育て上げたブラジルの珈琲栽培は綿連と引き継がれ、私たちは美味しいサントス珈琲を飲むことができます。ブラジルの風を感じながら、口当たりの柔らかい今月おすすめの「10月のサントス」をぜひ味わっていただきたいです。

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パリの香りを乗せて

 「こんなおいしいケーキは初めて。このレモンのタルトを姉にも食べさせたいです」とカウンターに座った女性のお客さまがメモを置いて帰られたことがあります。当店の月ごとに替わる限定ケーキが好評で、毎月楽しみにして下さるお客さまが増えています。
 変化を喜んでいただきたいと始めた月の限定メニューも15年以上になります。当初は通常のメニューに工夫を加えたりするのが精いっぱいで、知恵を絞りだすのに苦しんでいました。
3年前、友人の紹介により、パリで7年間修行したというパティシエールが入社しました。限定ケーキを任せたいと伝えると「珈琲に合うケーキを作りましょう」と喜んで引き受けてくれました。
 1年、2年と月日が経つにつれ、彼女が作るケーキへの反響は大きくなり、次第に信頼へと繋がっていきました。
なんと楽しそうにケーキ作りをしているのでしょう。その姿はパリのケーキ店で働くパティシエールを彷彿とさせます。「ボナール・ショコラ」「フレジェ」「ベールゼリー」など、フランス語のネーミングも魅力的で、アイデアと味の良さに感嘆します。
通称トモシエールは、鹿児島市のケーキ店で4年間勤務している時、ケーキとフランス語を同時に学びたいとパリ行きを決意。パリの語学学校に学びながら5軒のケーキ店で見習い修行したというのです。
 パリでは、リュバームなど珍しい食材との出会いやその組み合せに感動したと聞きます。
また、パリの「スタージュ」というインターンシップの店で、無給とも知らず働いていた時、オーナーに賃金交渉をしているのを知った同僚が、自分の給与から150ユーロ(約2万円)を分けてくれたことが忘れられない温かい思い出になっているそうです。
 現在、小学1年の女の子と4年生の男の子を育てながら、店長としても店内の仕事をパワフルにこなしケーキ作成の時間を楽しむ40歳。週末には、鹿児島市の両親に子供たちの面倒を依頼し、安心して働ける環境に恵まれています。
 人気の「限定メニューと珈琲のセット」をインスタにアップするのは若いスタッフAさん。その撮影力と文章力に魅かれて、多くのお客様が店に足を運んで下さっています。
 元ベテランスタッフSさんが育児をしながら現場復帰をし、さらに楽しい雰囲気が増しています。また経理事務員でありながら、店の繁忙時間はすすんで接客に出てくれるKさん、ITに長けているMさんは企画を鮮やかに形にしてくれる。
このようにスタッフが力を合わせ、周りに支えて頂きながら35年目がスタートしました。
 月末が近づくと「来月はどんなケーキかな?」と試食の時間のワクワク感がとまらないところです。          

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手廻し焙煎機から

7月25日は、珈琲倶楽部船倉のオープン記念日で、節目の35年目に突入しました。
5月にFMさつませんだいで「げそ太郎の一期一笑!」という番組に出演しました。飲食店を盛り上げ、新たに薩摩川内市の特産品を作ろうという番組。
6月には、川内商工高等学校の課題研究「商品企画」として、教師と6名の生徒さんから取材を受けました。その内容を薩摩川内市観光物産協会のHP「こころ」で紹介してくれることになっています。
どちらも、珈琲店を始めたきっかけ、こだわっていること、今後の目標についての質問を受けました。
このような機会を含め、当時を振り返り、珈琲店を始めたきっかけ話すことが多くなりました。
私共は、珈琲店を始める前にカフェレストランを5年間営んでおりました。その間、大手メーカーの珈琲を取り扱っていましたが、もっとおいしい珈琲を提供したいという思いが強くなり、夫が厨房のコンロの上に、手廻しの小さな焙煎機を置き、焙煎を試してみました。
レストランの厨房で、パチパチ、ピチピチという珈琲豆がハゼる音を聞き、煙と共に、芳ばしい香りが充満し、緑色の生豆が茶褐色に変化していく様を初めて見た時の感動は忘れることができません。
試行錯誤を続けているうちに、産地別の珈琲豆の特性を生かす焙煎など、珈琲の奥深さに魅了され、珈琲店をやってみたいと強く思い始めました。ですが、薩摩川内市で珈琲店が成り立つわけがないと、ほとんどの方に反対されてしまいました。

単純な性格ゆえか、ほとばしる情熱か、私共は「心に描いた夢は必ず実現する」と信じ、迷いなく始めることができました。
オープン当初は「苦い!」という反応が多かった煎りたての珈琲が、「船倉の珈琲でなければ」というお声が聞かれるようになった時は、珈琲店をやってよかったと胸をなでおろしました。現在はドイツ製焙煎機プロバットで当店のこだわりの味を焙煎しています。
珈琲を通して、どうしたらしあわせを感じていただけるかと、常に考えることが私の楽しい仕事でもあります。珈琲ギフトで喜びを伝播することができると考え、当初からギフト作成に意欲的に取り組んでいます。
一昨年、会社のロゴを一新し、今後はブランド力を高めていくのが目標です。

34年前、じりじりと暑い陽射しが照り付ける中、「アイス珈琲半額!」というチラシを配り、社員1人、バイト1人でスタートした日を振り返り、お客様、スタッフ、委託会社、友人たちなど、一日一日を多くの方々に支えられて、ここまで来れたことに感謝の気持ちを深めています。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

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あるがままに生きる島の友

私が10歳から中学卒業まで過ごした所は、屋久島の北西にある口永良部島。ひょうたんの様な形の活火山がある小さな島です。その名前は鹿児島県人にも馴染が薄かったですが、7年前の大噴火で、島民全員が屋久島に避難する様子が連日、マスコミで報じられ、全国的にも知名度が上がりました。
私が住んでいた半世紀前と違い、現在の島の人口は、半数以下の100人余りになり、小、中学校が同じ場所で、2学年が同じ教室で学ぶ複式学級で、全校15名の生徒と11名の先生で構成されているそうです。生徒不足を補うために、山村留学制度で県外からの受け入れを行ってると聞きました。
この島に住む同級生のみな子さんから今年もタケノコが届きました。
彼女はこの島で生まれ、大阪で結婚。子育てを終え、5年前から島に住み、7名の孫たちを1年ずつ交代で山村留学の生徒として受け入れ面倒をみています。子供たちは大自然の中でのびのびと生活し、学業も個人レッスンさながら丁寧な指導をうけ、出番が多い行事も主役級で楽しんでいるようです。 
春には、小・中学校の先生方をタケノコ取りに案内し、夕方には天ぷらやバーベキューを振る舞っています。  
運動会には先生方全員の弁当を作って喜んでもらっているようです。子供たちだけでなく、島で勤務する先生方にも頼られる存在になっているのです。
5月の南日本新聞で「口永良部、忘れられず再び留学」というタイトルの投稿を目にしました。神奈川に住んでいる生徒が2年前、島での1年の留学を終え、地元の学校に通ったものの島のことが忘れられず戻ってきたという内容でした。その留学生はみな子さんにお世話になることを希望したそうです。
孫たちや留学生に付き添い、人生の後半を故郷で過ごし、周りの人々のために全力を捧げているみな子さんの生き方を尊敬し、同級生として誇りに思っています。
島は不自由で、贅沢はできない、あるもので生活するしかない。それゆえあるがままに生きることができる、だから好きなのだと、みな子さんは言い切ります。
ある写真家が「口永良部島は最後の被写体にとってある」と言っていました。それほど魅力的ということなのでしょう。ここは私にとっても宝の島。
9月、全島民参加の運動会にはぜひ行きたいと、みな子さんに申し出たところ、弁当を一緒に作って欲しいとリクエストがきました。これで決まりです。
かつてスポーツで汗を流した学び舎で、島民の声援が響き渡る運動会を思い出し、あるがままに生きる島への旅支度するのが今から楽しみです。


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四季の物語を

お客さまに常に新鮮な風を届けたい、そんな思いで、素人ながらアイデァを駆使し、店内のディスプレイを考えること数十年。
毎月雑貨店に通い、季節の小物やクロスを購入し試行錯誤を続けてきました。

7年前、知人の陶芸の個展会場で、ギャラリーの作品を引き立てながら、蔓を使用し自然を情緒深く表現しているのを見て、咄嗟にこのような方にディスプレイをお願いしたいと思いました。
その日から「aminoF」(アミノエフ)のコーディネーター宮永あけみさんとの、劇的ともいえるご縁が始まりました。

あけみさんは、京都で池坊45世家元の池坊専永氏より直接指導を受け、直伝教授の資格を取得し、また欧風スタイルの生活の中に活かすお花も学んでおられます。アーティフィシャルフラワー(ハイクラスな造花)で、飾花・ディスプレイ・レンタルフラワー等をこなされ、メディアでもフラワーアーティストとして注目されている方です。
弊社では季節に合わせた雰囲気で毎月ディスプレイして下さいます。あけみさんのディスプレイには、私共の想像を超えた季節感の演出や、遊び心が添えてあり、月ごとの物語が始まるようなときめきを感じます。

この1年間の主なディスプレイをご紹介します。
1月は金と赤を基調にした、新春の優雅で厳かな雰囲気、4月は、緑とミモザの花の中を爽やかな風が吹き抜け、新しいスタートの時を応援しているように、5月のテーマは「猫が昼寝する公園」、のんびりゆったりして、猫の国のお姫様になった気分を楽しむ作品。
7月は「南の島」をテーマに、自分の好きな島をイメージしながら海の風を感じ、リゾート気分を満喫してほしいという願いを込めて、9月は「秋の始まり」をイメージし、落ち着いた秋色、赤銅色の上質の「コッパー色」で物語が広がりそうな雰囲気。読書の秋にぴったりです。12月はもちろん心を弾ませてくれるクリスマス気分満載。店内のあちらこちらにかわいいサンタ、やさしいサンタが笑顔で話しかけてくれているようでワクワク感が止まらない。

明るくてパワフルなあけみさんが話し始めると、花から自然へ、カラーから風水へと広がり、話題は尽きません。 
心を込めて仕上げて下さるプロの想いと技はお客様にたくさんの感動を与えてくれています。

自家焙煎の美味しい珈琲とケーキ、そして、心身の栄養になりそうな雰囲気の中で、四季の風を感じ、皆様のしあわせ物語を紡いでいただけたらと思います。


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